ビリヤードで使う白い球が、別の黄色い球に衝突すれば、即時かつ予測可能な仕方で黄色い球が動くはずです。しかも、その動作は概ね物理学の法則に従うことでしょう。
一方、この白い球が人や動物に衝突したらどうでしょうか? 白い球が人や動物などの生物体に衝突してから、その生物体が反応を示すまでには一定の遅延が生じるはずです。少なくともビリヤードの球のように予測可能かつ即時的な動作は期待できません。
両者の差異は何処にあるのでしょうか。生物もまた、ミクロレベルでは化学反応の連鎖であり、同反応を駆動している基本法則は、物理学的法則と同じであるはずです。しかし、薬を飲むことによって得られる生活の変化は、ビリヤード球の動きのように単純ではありません。
過去の記事でも紹介した「薬の現象学」は、ビリヤードの珠と生物体の差異、つまり現象の複雑性を考察する視座として有用かもしれません。
【参考】薬の現象学:存在・認識・情動・生活をめぐる薬学との接点【前編】
【参考】薬の現象学:存在・認識・情動・生活をめぐる薬学との接点【後編】
そのような中、科学・技術研究会の公式ジャーナル「科学・技術研究」誌の2024年号に「化学の哲学とは何か-科学哲学における化学」と題した総説論文が掲載されました(植原. 2024 ;DOI:10.11425/sst.13.3)。
著者の植原先生は、哲学および科学倫理学を専門とし、近著「思考力改善ドリル」は、医療情報を扱う医療者にとっても有益な書籍だと思います。
今回の記事では、同総説論文の概要を解説したうえで、化学の哲学と薬学との接点を考察してみたいと思います。